除夜の鐘が鳴り始めました(焦)

豊増一雄さんから励ましの毛筆の手紙と柚子コショウ2種類が届きました。市販のものよりずっとおいしい!!そしてフレッシュで辛い!!お鍋に入れたりご飯にちょっとつけたりして楽しんでます。
こんどはぺペロンチーノ作ります。ありがとうございました。

何とか今年中に記事を書きました。
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皆様よいお年を!!
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# by tou-kasho | 2011-12-31 23:55 | 日々の暮らし

お産続き

今年の9月・10月には偶然にも友人たちの出産が続きました。

Y塚家、Y田家、K永家、S藤家、おめでとうございます。

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圭之介君、3か月経ってやっと会えました。元気に育ってね。
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Y田家のお祝い返しに和菓子の青野のかわいいどら焼きが届きました。ありがとう!また会いに行きます。
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# by tou-kasho | 2011-12-31 23:41 | 日々の暮らし

嬉しい便り

スペインにセルジという友人がいます。

彼は大の日本好きで、日本に来るといつも私に会いに来てくれます。

3回目の訪日の際、エバという彼女を連れてきて、国東の田舎暮らしや別府の温泉を一緒に楽しんで帰りました。

半年前にセルジから「9月にエバとインドへ旅行するんだけど、その時にプロポーズしようと思う。婚約指輪はデザインして発注した。そこで、指輪を入れる箱を克に陶器でつくってほしい。エバには内緒だよ。」というメールがきました。
これは頑張るしかない!象嵌の吉祥文の陶筥を作り指輪を包む着物の裂と一緒に送りました。

結果はどうなったか?気を揉んで待っていましたが、後日エバよりメールと写真が送られてきて、上手くいった、しかもこれ以上無いという最高のプロポーズだったということがわかりました。

2人の人生の大事な瞬間に少し参加できて嬉しかったです。

いつまでもお幸せに!
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SERGI i EVA 
二人は日本での結婚式を考えているそうです。  
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西インドのラージャスターン州、タール砂漠ジャイサルメルという要塞都市にあるホテル。千夜一夜物語に出てくるホテルをプロポーズの為に探して予約したらしい。めっちゃゴージャスですね。そこまでしたセルジはすごい!
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象嵌吉祥文盒子
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末広がりの八角形
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# by tou-kasho | 2011-12-29 01:55 | 日々の暮らし

追善の窯焚き

さあ、いつまでも悲しんでいても仕方ない。前を向いて歩きます。

真冬の窯焚きです。

冬の窯焚きは大好きです。


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いつも神様に酒、塩、米をお供えして、家の隣の山神社にお参りしてから窯焚きをしますが、今回は先生の絵唐津のぐい呑みに酒を注ぎ、特別な思いで窯を焚きました。
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# by tou-kasho | 2011-12-27 01:29 | 仕事

中川自然坊先生逝去

12月13日午前2時11分、私の師匠である中川自然坊先生が亡くなりました。享年58歳。
心臓の疾患を起因とする多臓器不全でした。

前日の夜に弟子の神尾順二くんから危篤の電話があり、国東から福岡の病院まで駆けつけました。
到着したときにはまだ意識がありましたが、急に弟子たちが集まると先生が変に思うだろうということで病室に入れませんでした。意識が無くなってから室内で先生の手をそっと握らせていただいたのが最後でした。
 
先生が亡くなり、病室から先生を新居に移動しました。先生は最近近所に新しく家を建てました。以前の家の運気が悪いとのある方からのアドバイスがあり、先生は祈るような気持ちで新居を建てられたのでしょう。

弟子たちで手分けして先生とお付き合いのあるギャラリーやお客様、ご友人に訃報を知らせる作業はとても辛いものでした。特に親しい方達は二の句がつげなかったり、号泣されたり。。。

お通夜と葬式には本当に沢山の方達が駆けつけ、私が知らなかった昔の先生のエピソードをギャラリーのオーナーの方々やご友人から伺いました。キックボクシングの試合でリングの外でも相手を追っかけまわして殴っていたこと、多くのケンカの話など一貫して「先生らしい」話ばかりでした。

思えば弟子入りの面接のとき、「理不尽なこともあるとばってん、よかか?」と訊かれ、「はい」と答えたのが始まりでした。内弟子生活は確かに理不尽なことばかりで、工房の前に聳える季節感の無い杉山は監獄の塀のように感じたこともありました。先生をご存知の方に会うと、大体「よく自然坊の下で弟子をしたねぇ」と言われます。確かに当時の生活は厳しく辛いことも多かったですが、今思い返すととても充実したかけがえないのない日々だったと思います。弟子明けして会社組織や社会の理不尽さと対峙した時と比べると、どれだけ深い愛情のある理不尽さだったかと思い知らされたものでした。

現役の弟子も含めると、先生の弟子は全部で9人。初対面同士の人もいましたが、そこは家族のような親近感があり、葬儀の後は先生のエピソードで盛り上がりました。同席した妻は、みんな良い弟子ばかりで仲が良いね、とちょっとうらやましそうでした。共通するのは、独立してから先生の愛情や偉大さに気づかされるということでした。

そんな9人の弟子の中、一番出来の悪いのが私でした。本当によく怒られ、「カツこん(こらっ、の意味)カツ!!」というのが私を呼ぶときの決まり文句でした。

独立して窯を築き、先生に作品を見せに行った時、どうせまた怒られるだろうと思っていましたが、「まさかカツがここまでやるとは思わんやった。」と驚かれた時本当に嬉しかった。初窯のときは「体調わるかけん、行かれんけんが」、と息子の恭平くんと弟子の順くんと一番親しくしていた元了さんというお坊さんに先生がお願いしてくれ、窯焚きの手伝いに加わっていただきました。体調が悪い中無理をして、私の初個展を見に、弟子と奥さんを連れてはるばる別府まで来てくれました。その時蕎麦屋に行き、初めて先生にご馳走できたことも嬉しかったです。

とにかく焼き物のことばかりで、最後の最後まで、轆轤をひくつもりで酸素ボンベを工房に用意していたそうです。

「足型の湯たんぽ」を作る工場が地元にあり、今全国で爆発的に売れている、という話を聞き、心臓の機能が13パーセントしか動かず、手足が冷たくなっている先生に「これはいい!」と思い、先生の奥さんに電話で湯たんぽを送ります、と言付けてもらいました。送付したのは先生が亡くなる2日前で、先生がその湯たんぽを目にすることはありませんでした。先生の新居のホワイトボードに先生の字で「克、足型アンカ送る」と書いてありました。来年1月にギャラリー桃青大丸心斎橋店で2人展を開催できることになりそのDMも同封していましたが、それをお伝えすることも出来ませんでした。最後の最後まで間の抜けた弟子でした。

独立資金を貯めるためサラリーマン生活をしている時、先生の個展の図録が送られてきて、図録に「元気でやっているか?目的(夢)を持っていれば必ず実現します。信念を貫いて下さい。体に気をつけて。自然坊」
という1枚の手紙が挟まっていました。先生からの最初で最後の手紙となりましたが、ずっと我が家の居間に掲げています。

先生にはもっと私の成長を見てもらいたかったです。それが弟子としての一番の恩返しだと思っていたのにもうそれができないのが残念でなりません。

思い出を書くときりが無く、その都度涙が出てくるのでこの辺で終わりにします。

もっともっと良い作品を作りたかったでしょう、無念だったと思います。先生、どうかゆっくり休んでください。
本当に本当にありがとうございました。


合掌

※渋谷黒田陶苑の黒田草臣さんも追悼記事を書かれています。
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# by tou-kasho | 2011-12-17 01:12 | NEWS